学校生活は
私のように不器用な人間には苦行です。
外に出て、色んな人と関わることは
成長の過程で必要だと思うけど
あまりにも苦行で、
他に出来ることはあるのに
学校生活に必死に適応しようと疲れ果ててしまう
その労力がもったいないと思います。
人間関係とか体育とか、
うまくできないからって
努力不足ではなくて
出来ないものは仕方ないと思う。
出来る範囲内で一生懸命やれば
それでいいのではないだろうか。
他に出来ることはあるのに、出来ないことをいつまでもやり続けなければいけない
勉強が出来なくても、嫌な思いをするシーンはあるかもしれないけど
人間関係や体育、というほんの1つ2つのカテゴリが出来ないだけで
どうにも出来ないことをやらせれ続ける、非常に惨めな思いをする、
努力でどうにか出来ることではない、
嫌な思いの無限ループ、これって
ちょっと馬鹿げていない?って思う。
世の中、イイヒトしかいないわけではないから
黒い人間は、人の出来ないことにつけこんで
いつまででも憂さ晴らし出来てしまいます。
筆記テストでは、わからない問題は飛ばして
後で時間余ったら解いてみたりすると思うんだけど
人間関係がうまくいかない、体育が苦手、って
出来ないなら飛ばす、って出来なくて
出来ないことを、いつまでもやらされ続ける。
どうしても出来ないことを強要される、その時間と労力
他のことに使った方が有意義ではないだろうか。
一般的な仕様じゃない人間は学生時代ずっと辛い思いをする
学校という世界で
半分以上の子は学校生活を普通にこなしているけど
たまたま出来ないことがある子もいる。
ちょっと人と特性が違うからって
延々と嫌な思いをし続けるシステムは
おかしいと思います。
平均的でなければいけない、
たまたま平均的であった子だけ問題なく過ごせて
ちょっと特性が違う一部の子だけ著しく嫌な思いをする、
それはもう時代遅れだと思う。
もったいない。
他に出来ることがあるのなら
出来ることに力を注ぐ方が有意義だと思います。
もう戦後じゃないんだからさ、
画一的な社会は時代遅れだと思う。
今や戦後から随分と時間が経って
大昔と比べたら技術も発達して、生活も豊かな時代です。
随分時間が経っているのに
いつまで戦後のようなシステムを続けるかな?と
私は疑問です。
画一化システムでは
本来、地面いっぱいに、いろんな色の花が咲くはずなのに
広い地面があるのに、地面の一部分だけ、同じ色の花しか咲かなくなります。
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