友達がいないことよりも問題なこと

過去の回想と内省

私の子供時代を回想しての話です。

 

自分の子供に友達がいないとか消極的とか、

一般的な子(普通に立ち回れている子)と比べて

人間関係がうまくいっていない、不器用と思った時

子供に友達がいないこと以上に問題なのは

子供に友達がいないことを責めたり、

自分の子供という一人の人間を否定することだと思います。

 

一般的な子は頑張って友達を作っているわけではなくて

普通にしているだけで、普通に友達がいます。

交流するきっかけを得るために積極的に話しかけるような

努力をすることはあっても、

子供時代ですから自由に選べる人間関係であり、

努力してまで繋ぎ止める必要はなく、

ただ普通にしているだけで友達がいます。

 

私のように不器用な人は、(あくまで私は、の場合)

頑張ったからって友達が出来るわけじゃないし

気を遣っても遣っても嫌われていきます。

私だって何も気にしていないわけではありません。

劣等感を抱いたり、傷ついたりもしています。

出来ないものは出来ないんです。

努力でどうにかなるならどうにかしています、

自分の人生ですから、誰だってうまくやりたいでしょ?

 

そこを親が「友達がいない=嫌われている」

「友達がいない=うちの子は劣っている」と直結して考えて

子供を否定に走ることは

自分の子供に友達がいないこと以上に問題なことだと思います。

 

何か迷惑をかけているなら親が止めに入ることも必要だと思いますが

私は、特に何かしたわけではなく

行動言動がイラッとこせさる天才なので

せいぜい、なんかこの人嫌い程度だと思います。

 

そりゃ友達の輪に囲まれていたら

それは素敵なことだと思います。

 

だけど、

「人間関係が不器用な人」もいます。

勉強が苦手な人、運動が苦手な人、音楽が苦手な人、絵が苦手な人、

人はなにかしら「努力の問題ではなく、出来ないこと」というものが

存在すると思います。

 

どうして、人間関係が苦手、コミュニケーションが苦手、というカテゴリだけ

私という人間を否定されなくてはならないのだろうか、と思います。

 

自分の子供に、友達がいないのなら

合う人がいないんだくらいに思って見守っていれば良いと思います。

何か迷惑をしない限りは、それで良いと思います。

 

うちの子に友達がいない=うちの子が悪い、みたいに

直結して考えて自分の子を否定してしまうことが

子供の心を壊し、問題だと思います。

 

友達とは一緒にいて楽しいから自然と一緒にいるようになり、

友達になろうとしてなるものではないと思います。

きっかけは作れても、仲良くなれるかどうかは合うか合わないか次第。

 

室内で読書して過ごすことが好きな人に、

とにかく体を動かすことが趣味のような人に

お友達として仲良くしなさいって言っても無理な話。

違う共通点で仲良くなれる可能性はあるけど、

合う合わない、一緒にいたいという気持ちは

作ろうとして作るものではないと思います。

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むしろ、人と仲良くする努力をするよりも

自分のことに時間や労力を使って自分の色を持つ方が有効だと思います。

中身がなくテーマがないと人と繋がりようがないので

人と繋がるために何かをするのではなく

まず自分のことをやることのほうが先で、

自分の色を持った結果、合う人と一緒にいるようになる

という順番だと思います。

 

思えばうちの親は、

すぐに「ごめんね」「すみません」と謝るところがありました。

謝るべきところで謝ることは必要なことだと思うのですが

自分は何も悪くなくても、むしろ相手に非がある時ですら

うちの親は、すぐに「ごめんね」と謝ります。

小学校高学年のでっかい上級生が前を見ずにダッシュして、

幼稚園児の私にぶつかった時も

うちの親は、その上級生に「ごめんね」と謝っていました。

うちに親にとって、

ごめんねは好かれる言葉か何かと勘違いしているのです。

友達とは何か、っていう意味も

うちの親自身、わかっていないのだと思います。

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