椅子が汚れていたら誰もそこに座りたくないよね。
そこしか空いていなかったとしたら
座るのは諦めて立っているとか、他に椅子がある場所を探すとか
椅子が汚れているから、その椅子は避けて他を探すよね。
こうだったら、こうする。
そういう当たり前の思考力を毒親は子供から奪う。
なぜ毒親は子供を抑圧して、他者という良しある人間を自分の思い通りに動かそうとするのか
毒親は、ご自身の人生の不満から
他者である子供の人生を使って、やり直ししようとして
本来は、子供が自分で感じて、考えて決めることを
これは絶対にこういう答えだからこうしなきゃ駄目だと
固定の答えを持ってきて、そうすることを強要する。
大人の脳ミソで憑依してくるから子供の頃は
「しっかりしたいい子ね」っていう評価を得られることもあるけど
大人の発想であることが当たり前になってくる高校生、大学生あたりから
致命的に適応出来なくなっていく。
こうだから、こうする、という思考力が奪われているので。
毒親自身も大人になっても大人になりきれなかった子供のままで成長が止まっている
子供の年齢が上がるにつれて、
親がいつでもどこでも子供を操作出来るわけじゃなくなっていくし
親自身、
「そりゃ年齢が大人なんだから小さな子供よりは現実的に物事を考える力が上だけど、大人になりきれていなくて、子供のまま止まっている」程度のレベルしかないので
中学生くらいまでは親から子への憑依で、
まあまあうまく回ったとしても、それ以降が崩れていく。
それを例えると、中学1年、2年、3年の教科書があったとして
1年の勉強しか理解していない人が、3年分を指導したがる感じ。
満たされた人間は不必要なアドバイスをしようとしないし、不適切な場面で指導者になろうとしない
自分のことが出来ている人間は
不必要に、人にアドバイスをしようとしない。
自分のことも出来ていない人間に限って
不必要に、人にアドバイスをしたがる。
アドバイスが具体的な用件である場合は妥当だと思うけど、
自分のこともうまくいっていないような人間の特徴として
人が決めることや、人それぞれなこと
そういった、アドバイスは不必要な内容で指導者になりたがる。
毒親や迷惑な人は、自分が良い結果を出していないことすら自覚出来ない
毒親も、世の中の迷惑な人も
自分が、その方法でうまくいっていないことを自覚出来ないようです。
一生懸命やっている=うまくいっていると思い込んでいて、
現実は物事がうまくいっていないことを自覚出来ていない。
自分のことがうまくいっていたら、自分の人生に満足しているから
人に憑依や、不必要なアドバイスをして
自尊心を保とうとする必要もないよね。
毒親から子供への憑依を繰り返すことによって、子供は自分のことを自分で考えたり決めたりする思考力を失っていく
椅子が汚れているから、そこに座りたくないから避ける。
そんな当たり前のことも、
毒親が「いいや、汚れていない、ここに座れ」とか
そうしなくちゃいけない場面でもないのに「席を用意してくれた相手を傷つけるから、ここに座れ」とか
無理矢理な答えを持ってきて強要する、こういうことを繰り返すことによって
子供は、やがて、これはこうだと感じていることも
でも私の答えが間違っているのかなって、自分で決められなくなってしまうのですよね。
毒親に抑圧されて育った人間=距離を置くべき危険な人というケースが多い
私が危険な人と感じるサインの一つとして、
人が喋ったことをコピーしたかのように喋る特徴がありました。
一見謙虚でイイヒトなんだけど、後にストーカーと化すような人とか。
そういう人も、自分で状況なりに把握して対処する力を毒親に阻害されてしまったから
自分が出した答えに自信がないから、
人の真似をすることしか出来なくなって、末路は、ストーカーのような
迷惑な人になってしまったのかもしれませんね。
自信がないから、全てに「私が正しいわけじゃないけど」と
予防線を張ってから話す人とかも、
一見謙虚でイイヒトなんだけど、他の人にはただただイイヒトを演じるわりには、
自分より弱い者見つけたらターゲットにして、一人にだけ当たり散らかしたりさ。
距離を置くべき人間はそれなりに異様なオーラを発しています。
そういった人間たちもまた、毒親に抑圧されて育てられた結果なのでしょう。
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