私はずっと
人は1人では生きていけないという意味は
みんなと仲良くっていう意味だと思っていた。
幼稚な両親の私への強要がそうであったし
私自身、過去は原因不明の体調不良により
無自覚に頭が回っていない中、生きていたので
- 全員と、お友達として仲良くしなきゃいけないんだ
- 1人にでも嫌われてはいけない
- 人を嫌うことはいけないこと
- みんなで仲良く
っていう、
今思うと非現実的で極端な考えをしていた。
母親はよく
何かあったら身内も地域にいないんだから(転勤族なので)
近所の人と仲良くやっていかなければならない、って言っていた。
でも、母親はただ近所の人にペコペコと気を遣って
顔色うかがって笑ってるつもりの苦笑いしていた、仲良い人なんていなかった。
もしもの時に、本当にみんながみんな生活が厳しい状況になったら
知人程度の関係で自分も足りないものを分けてくれないと思う。
親友、恋人、家族、親族以外は
友達とは知人程度に思った方が良いと思う。
友達とは所詮他人とかそういうことを言っているのではなく
人と人との繋がりとは
特に嫌いとか迷惑ではなく行先が同じなら、
せっかくだから一緒に行きましょう程度の関係なのです。
例えば私が隣の県で無一文になって
携帯電話だけある状況だとします。
親友、家族、親族なら
迎えに来てくれるかもしれないけど
友達程度の関係でそこまでは出来ないでしょ。
それは意地悪とか薄情とかではなく
人それぞれ自分や、自分の大切な人がいるから
自分や、自分に近い人を大事にしている限り
関係ない相手のことまでやっている余裕はないのです。
あれもこれもは出来ないでしょ。
やるべきことを絞ることも必要でしょ。
ピントを合わせずなんでもかんでもやろうとすると
やること出来ていない人や近い人を大事にしてない人になります。
人は1人では生きていけない、という言葉の意味は
人と仲良くしましょうっていう意味ではなくて。
例えば、今の時代、スマホやパソコンを使って
検索エンジンを使って、
今すぐなんでも調べたいワードを調べることが出来ます。
スマホやパソコンを作ったのも検索エンジンを作ったのも
私ではありません。
大きな組織の力や、世の中のすごい人が作ってくれたものです。
それを今、人々は当たり前に利用して生活しています。
もしもスマホやパソコンを作れって言われても
私には一生かかっても無理でしょう。
生きている以上、世の天才や秀才、すごい人、大きな組織が作ったものを
何かしら利用させていただいているのです。
今当たり前にあるものも
全て1人で作りなさいと言われたら無理でしょう。
人は1人では生きていけない、という言葉の意味は
何かしら既存のシステムや団体、サービス、商品を
利用しなければ生きていけない、という表現のほうが
みんなと仲良く、よりは近いと思います。
数人しかいない世界であれば
全員イイヒト、悪意のない世界も存在するかもしれません。
でも、たくさんの人が集まれば、どうしても
黒い人間、嫌な奴、ずるい奴、非常識な人、嘘つき、迷惑な人が
どこにでも存在します。
だからっていちいち、そういった人に白黒つけようとするのではなく
危険な人に真正面から向かっても
自分がリスクをかうだけだから、自分のために黙ります。
誰かが明らかに悪意を持って良くないことをしていたとしても
黒い人間は無数にどこにでもいて
全てをどうにかすることはキリがなくて出来ません。
真面目にやっている人間にとっては
面白くないこともたくさんあるでしょう。
それでも戦わないのは自分のためなのです。
何かしら既存のシステムを利用しないと生きていけない世界なので
角を立てたり良くない意味で有名になると
自分の行動範囲がどんどん狭まるだけなので
人は極力戦わず角を立てずスルーを使うのです。
それが、人は1人では生きていけないという言葉の意味だと思います。
コメント