トンチンカンで空気が読めない私でも
もうこちらと話す気がない人っていうのはわかる。
- 無視はしないけど流す対応しかしない
- あちらから話題提供はしない、こちらの言うことに短い相槌を打つだけ
- 喋ってもそうなんだ、わからないしか言わない
メールなら、返信必須な内容ではない場合、
返事が来ない無反応もしくは返事が来たとしても
二日間くらい時間をおいてから返ってくる。
私に距離をおいている、もう関わりたくない、
そういうのはトンチンカンな私でもわかる。
距離おきされていることに気づいたら用件以外近づかない
相手が、もう距離おきの姿勢まで見せている時には
どうにかしようとしないで、用件以外では話しかけないようにするしかありません。
人の離れ方には、今すぐあからさまに態度に出してブツ切りのように離れていくカットアウト(CO=cut-out)と、徐々に離れていくフェードアウト(FO=fade-out)があります。
私にとっては、フェードアウトのほうが状況を把握しづらい
距離おきを決めても今すぐ離れるわけじゃない人もいます。
離れることは決意しているけど刺激しないように徐々に離れていく人や、
もうちょっと様子見してから決めようと思っている場合もあって、
それは常識的な対応だとは思いますが
私の場合、そういうフェードアウトのほうが
以前は仲良かった時期もあった、ということもあり、
どうにかしようとしてしまう。
完全に拒否の姿勢なら、さすがに私も、もう近づかないけど
たまにあっちからも私のほうに来て
普通に喋ってる、ってなると把握しづらい。
飢餓に寂しい私には来るものを拒む余裕がなかった
無自覚なアダルトチルドレン期に私が思ったことは
どうして「相手のほうから自分のところに来る者」を拒めるのだろう
という発想。
昔、私は寂しくて飢餓で、誰かが私のところに来たら
拒む余裕がなかった。
心に余裕がある人は、
相手の方から自分のところに来たのであっても
Aちゃんは好き、Bちゃんはちょっと苦手だから流す対応しかしない、
というように相手を選ぶ余裕があります。
私は寂しくて飢餓で飢餓で、そんなことしてる余裕がなかった。
人が私から離れていくのは興味がないというだけのこと
努力でどうにかできるものではないので
お友達がいっぱいの人生みたいなのは私には無理だけど
今は、やりたいことをやっていればいいんだという発想と
近い人だけ大事にしていれば良くて、
別に、たくさんの人に囲まれる人生じゃなくてもいい
という発想があるので、そんなに寂しくはなく
興味がないモノをスルーするという発想を、
自覚ないアダルトチルドレン時代よりは、わかったように思います。
興味がない=私という人間を否定されたわけではない
スルーされたから自分が低いとか否定されたっていうわけではなく
興味がない、それだけのこと。
例えば、野球に興味がない人に野球の雑誌を渡しても
興味がないっていうのと同じことだと思う。
そこを(用件を伴わない自由な場面で)おつきあいで仕方なく
野球の雑誌を見ても、こちらも面白くないし
本当に野球が好きな人と比べると、相手も面白くないと思います。
興味がないことに合わせていると自分の時間が減っていくだけ
一度や二度ならいいのですが、
毎回毎回興味のないことに合わせていると
自分のやりたいことをやる時間が減っていきます。
似たような趣味、もしくはお互い交換出来る何かをもっていて
共有交換が発生する場所にいるほうがお互いに有意義です。
どちらが悪いというわけではなく、合う合わない、興味があるかないか、それだけのこと
私に興味がない人がいたとしても
私が悪いわけではなく、
もちろんスルーの対応をとっている相手が悪いわけでもなく
ただ興味がない、合わない、というだけなのだと思います。
そこを、私に興味ない=私が悪い、低い、否定された、嫌われている、
と捉えていると人生も心も壊れていくので。
友達とは、その場に一緒にいることを繋ぎ止めるためのものではないし、
仲良くなれなかったとしても特に何か迷惑をしたわけじゃない限りは
ただ合わないだけなのです。
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