国や地域、家系での習慣による宗教もあるので
宗教自体を否定しているのではなく。
迷惑行為を伴う、変な宗教や変なビジネスとかの話。
ごはん食べにいこうって誘っておいて
目的は勧誘でした、みたいなのとか。
ADHDっぽい私は可能な限り余暇の時間は1人でいたいので
ある意味孤独を好み。その点が私にとって
どんなにそそのかされても通用しないブレーキとなったと思うけど。
変な宗教や変なビジネスの勧誘って、
アダルトチルドレンの認知にそっくりだと思った。
宗教の勧誘は知らないけど、マルチの商法の勧誘者は
ものすごくイイヒト(人として良い悪いの話ではなく、
褒めて仲良くしようとする人とか断れない人とか、そういう類の意味)
なんでも肯定してくれる
なにかしら褒めてくれる(服いいね、可愛いねとか)
これって「人に嫌われたくないために生きてる」ような私の母親が
私にああしろこうしろ憑依した内容と同じだと思う。
いつも笑顔で人に優しく、冗談でも否定的な言葉をかけてはいけない、
誰にでも優しく、笑って話さないと相手が傷つくでしょ?
それがいいこと、正しいこと、
人に好かれるのが正しくて嫌われたら間違いみたいな。
全く仲良くもない人にもニコニコと親切にするのが正しいこと、みたいな。
アダルトチルドレンの認知(アダルトチルドレンでも色んなケースがあって
あくまで私の家庭に起きていた型のアダルトチルドレン)、
だと
マルチ商法等の変なビジネスの勧誘者は理想的な人間だと思う。
うちの家庭の間違った認知では。
普通の人から見たら不自然にイイヒト(=危険な人と感じる)
それを機能不全家庭育ちのAC認知だとイイヒトに見えたりするんだよね。
そしてAC認知では
要らないモノでも相手を傷つけるから断れない、
要らないモノでも買ってしまうっていうところがあるから
(実際買うまではしなくてもそういう発想になってしまっている)
嫌われるから用件も言えないとか。
本人は好かれたい、嫌われたくないためにやっていることが
用件を見れてなくて、やることが出来てなくて
物事としては迷惑となってしまっている。
そういうアダルトチルドレンの認知。
商品の内容は明かさず、もしくは明かしてからも
たくさんの仲良い人、みんないい人、仲良しアピール、
仲間をアピールして入会、入団させようとする変なビジネスの人たち。
それを居心地の良い世界と錯覚しやすいのもまた
アダルトチルドレン認知。
そうやって似た者同士、
もしくは
利用しようとする人と、利用しやすいターゲットで需要と供給が合って
変なビジネスの団体が出来上がっていくのかもしれない。
要らないモノを要らないと言うことは
意地悪でも悪いことでもないし、
要らないモノを買うのが、それで好かれるんですか?
それは本当に、いいことですか?
要らないモノは要らないと言う方が、お互いに良いのでは。
色んな人に嫌われない自分、好かれる自分、
仲良くもない人に一生懸命気を遣っている自分、そういう人は
近い人を大事にしていますか?
赤の他人はデータがないのでマイナスの面を「知らない」だけで
近い人は一緒にいるからそりゃ不満も出てくるっていうだけで、
どんな人なのかまだ知らない人=イイヒトっていうわけではないんですよ。
知らない人は知らない人なのです。
一生懸命仲良くもない人を大切にして
近い人を大事にしない、大事にしないどころか傷つけたり攻撃したりする、
悲しい認知。それがAC認知の一例(必ずしもそういうタイプとは言わないけど。)
AC認知(の中の一例)ってさ、
仲良くもない人をイイヒトって錯覚したりしちゃうよね。
中身も知らない、よその子を
遠くからチラっと見て褒めちぎる、うちの母親がそれ。
コメント