良くないことばかり起きて、
辛い時こそ、ただでさえ辛いのに更なる不運やトラブルが連続して
悪いことばかり起きる期間があった。
良くないことばかり起きる期間は一回二回じゃなくて、
良くなったと思ったらまた良くない時期が来て…という繰り返しでした。
それを当時はツイてないな、運が悪い時期なのかなって思っていたけど
運とか見えない世界とかの話じゃなくて
今から振り返ると、現実的な原因があったと思う。
何かトラブルを抱えると思考力が低下して更なるトラブルを生む
不器用な私は元々、言っていること・やっていることがトンチンカンなところはあった。
そして何かあると一つのことに気を取られちゃうんだよね。
元から思考力がないところを、何か問題を抱えているとそっちに全ての思考力を回してしまい、更に日常的な思考力がなくなる。
その結果、うっかりミス・トンチンカン・失言などが、より多くなる。
それで元々疲れていて脆くて弱いところを更に弱体化して
色んなトラブルに見舞われてしまい
辛いところに更に色んな辛いことに遭遇してしまうんだよね。
嫌なことばかり重なるのは運とかって話じゃなくて、
思考力が落ちているからだと思う。
疲れていると目の前のものすら見えなくなる
何かトラブルを抱えて疲れている状態だと、
たとえ目の前に目立つように大きなものがあっても、それすら見えなくなっていたり
肝心なことを度忘れしてしまったり、後から考えればなぜそういうことを言うんだろう?って疑問でしかないような失言をしてしまっていた。
誰だって一回くらい、ボールペンを、あれどこいった?って回りを探した挙句、なんだ目の前にあるじゃんみたいなことあるかもしれないけど
それが1回2回のたまたまじゃなくて思考力が落ちると何度も何度も繰り返しやってしまい、
周囲の人も私に対してイライラしていくという感じですね。
明るく振る舞ってしまうところが自分の立場を悪くしていた
どんなに疲れていても疲れている時・辛い時ほど
私は明るく振る舞ったり元気そうに振る舞ったりしてしまうから
それがまた、自己中心的でやる気のない無責任で信用のない人に映ってしまう。
私の事情なんて皆さん知らないからただの自己中にしか映らないんだよね。
私の幼稚な両親は、笑っているのがいいこと、怒っていたり泣いていたりするのはいけないことっていう発想で、物事を表面でしか見ることが出来ない人たちで
子供が悲しくて悔しくて泣いているとそれを馬鹿にするような両親でした。
だからやがて私も辛い時こそ、辛い姿を見せたくなくて
楽しそうに振る舞うことが自然に身についていました。
子供のその場相応の感情を親が否定して馬鹿にするんだよね、笑っているのがいいこと・泣いているのはいけないことって解釈しているから。
私も頭が弱いけど両親も私と同じように不器用な人たちだと思います。
辛い時は静かにしているほうがまだ周囲にもあの人疲れているんだって伝わると思います。
それで何か考慮してもらえるわけではないけど、明るく振る舞って余計角を立てるよりは静かにしている方が自分をこれ以上不利な状況に追い込まないで済みます。
先のことを考えると疲れているからって休みを取れるわけではない。
だからせめて疲れている時は、必要以上のことはやろうとしないで無難に徹した方がいい。
普段から、あまり喋らない面白くない人でいるほうが
明るく振る舞う必要もなくなって楽だと思います。
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