どこいって何しても誰とも仲良くなれなかった。
その原因は、人の顔色伺いに必死で、人に合わせることが私の生きるテーマみたいになってしまっていて、私自身のテーマが何もないから。
例えば、Aちゃんが芸能人Bがカッコいいよねって言ったら、私は「カッコいいよね」って話を合わせようとしつつも芸能人Bには興味がないから情報を持っていない。そうなるとAちゃんは芸能人Bについて知らない人と喋っても意味ないし、同じ趣味の人と話したい。
皆さん、あれやりたいこれやりたいっていうものがあって自分のやりたいことのために動く。
そして今好きなこと、目標などを共有交換して、似た趣味や目標の人と繋がっていく。
誰ともうまくいかず友達がいない原因は、私自身の趣味や目標がないことだった
私は、常に人の顔色伺って、人に合わせることに必死で、疲れ果てて、自分自身の好きなこと、やりたいことがない。何かをしたいという気力がない。
何もやりたいことがなく、何の経験もなく、何の情報も持っていないから、私が喋っても話に中身がない。そして人は、この人は情報を何も持っていないんだと判断して離れていく。
今の視点で振り返れば、過去の私のやり方に対して「それは無理があるよね」って思う。
一生懸命人に気を遣ったって、相手が求めているのはそれじゃない。
人が求めているのは、情報交換。
私がやっていることは、顔色伺い。
理由がわからないゆえに更に人に気を遣うようになり疲れていく
過去の私は、なぜ人とうまくいかないのかわからないから
常に人のご機嫌伺いをして繰り返す、そこには私自身の趣味や目標がない。
そして、誰とも仲良くなれず距離をおかれた対応しかされないので、何か私の対応が至らないのだと思い込み、もっと気を遣うようになって疲れ果てて、自分のことをやる気力、何かをやりたいという気力がなくなっていくという悪循環。
人間関係は諦めて、趣味や目標に投資すれば良かった
どうせ、
空気を読んだり、妥当に立ち回ることが出来ないのなら、
どっちみち嫌われるのであれば、
人の顔色伺いなんかしないで、好きなことやってれば良かった。
人間関係をうまく立ち回れないことは性格や努力の問題ではない
人間関係をうまく立ち回れるかどうかって努力でどうにかなる話ではなく、
出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない。
努力でどうにかなるなら、みんなやっているよね?
努力しても出来ないから困っているんだよね。
自分のことなんだし、うまく出来るならそうしたいよね。
それは努力とか性格とかの問題ではないよね。
一人でいること、お一人様が否定される教育だった
今の時代は昔よりは、お一人様行動が認められる時代だけど、
ちょっと前までは、友達がいないのは悪いことみたいな教育だった。
居たくない人同士一緒にいるよりも、
やりたいことに労力を使うほうがよっぽど意味があると思うんだけど。
みんなで仲良くすることが正義で
1人でいることを間違いとするような定型社会の教育は、
個性的、独創的な人たちを潰してしまう。
水準のコミュニケーション能力がなければ全てを閉ざされてしまう世界
人間関係が不器用でも、他に出来ることはたくさんあるのに。
まずコミュニケーション能力がないとクリア出来ないようになっていて、
不器用なだけで、全てが閉ざされてしまうような世界。
そんな中、不器用な人間は
人に合わせることに必死で、自分の人生を見失ってしまう。
迷惑さえしなければ、どう生きようと人の自由
迷惑さえかけなければいいのですよ。
嫌なら一緒にいなければそれでいいでしょう。
誰とも仲良くなれなかったら一人で過ごしてもいいでしょう。
お一人様行動なら自分の時間を全て自分のために自由に使えるというメリットもあります。
人とうまくいかないのなら、人と仲良くしようとすることをやめる
空気を読めないとか、誰ともうまくいかないとか、
それで苦しい時は
人と仲良くしようとするのをやめて
全てを自分に投資すると良いです。
趣味とか目標とか、勉強とか、自分のために。
顔色伺いをやめて自分の色を持つ
顔色伺いをしているうちは、自分自身は何も持っていないから人と繋がりようがないし、
誰とも仲良くなれなくても、やりたいことをやって充実した日々を送ることが出来たらそれでいいのです。
人の顔色伺いをしていたって何も生産しないし、
中身がない状態で一生懸命話しかけてもそれが迷惑となるので。
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