ここがなくなったら困る、ここに入れてもらえなくなったら困る、そういう生き方はもうやめようと思う。
一人しか選べないのはパートナーだけ
それ以外はいくらでも予備や保険を作っておいて良い
ああでも、いつでも替えを用意しておくというよりは、一つの場所にすがらないこと、一つの場所だけに執着しすぎないこと、という表現の方がふさわしいかな。
ここが駄目になったらもう終わり、ここに捨てられたらもう終わり、そういう虚しい生き方をしてはいけないと思います。
社会も、会社も、団体の中にあるグループも、一人一人の個人も、一番大切なのは自分と身内、その次に大切なのが親友、それ以外は「いつでも代わりがいる存在」でしかありません。それを寂しいとか冷たいとか言いたいわけではありません、世の中を悲観しているわけでもなく。
発達障害っぽい人の認知だと、関わる人全てにまるで親友や社長のように尽くすように接してしまうことがあります。
関わる人間の9割は赤の他人や知人程度の関係であることを把握する
関わる相手に、どの程度の認識を持つことが妥当なのか、まず現実を受け入れることが必要です。そして、距離がある存在だからといって適当ににあしらうというわけではなく、用件はこなし、常識的な対応はするけど、感情移入はしないという感じ。
あまり一人一人に真面目に考えすぎないほうが良いです。自分のことをやっていたらそんな暇ないし、自分のことを自分で出来ることが当たり前の世界で人のことを考えることは失礼にあたるので。自分のことも出来ていない人間ほど人のことをやろうとして、人のことをやろうとしているから自分のことが出来ていない悪循環なのです。
普通を装うことが精一杯で、用件まで手が回らなかった過去
愛は本当だけど、幼稚で非常識な親の元に育った私は、隠さなきゃいけないことがたくさんあった。みんなはその場のやることに集中したり、趣味や目標など意味あることに視野が向いている中、私はなんとか普通を装ってその場についていくのが精一杯で、やりたいこととか好きなこととかやっている余裕はありませんでした。
みんなが当たり前に持っているモノ、出来ているモノを持っていない私は「普通を装うのに必死」でバレたらどうしよう、って気が気じゃなくて劣等感を抱えていたけど今思えば、そういう状況にさせてしまう親の責任だと思う。
ここがなくなったら終わり、何かを隠さなきゃいけない事情があってバレたら終わり、そういう、1つの何かに捨てられたら終わりという環境を作らないように自分が動かなくてはいけない。
わざわざ媚びるような環境を自ら作らずに、数多くあるうちの居場所であるように、自分で余裕ある環境を作っていかなくてはならないのです。自分のことは自分にしか出来ませんから。
甘い言葉や一見良さそうな環境に飛びつかずに、数多くあるうちの選択肢くらいに持っていくのが良いです。
そこはあくまでも数多くあるうちの居場所のうちの1つで、全てではない
全てを1つに掛けて、全てを失ってしまうのも不器用な人間にとって陥りやすい状況です。そうならないようにまず、距離にふさわしい認識を持つことと、一つ一つに感情移入しすぎないことが必要です。
この世界とは、既存のシステムを利用させていただいて生活するもので、既存のシステムに自分の全てを捧げるものではありません。
コメント