あの時、私の態度が豹変したのは理由があった

般若や鬼をイメージした描いた絵過去の回想と内省

昔々の話。

ほんの一週間前まで友好的に接していた友人に、あからさまに冷たい態度をとって暴言を吐いてしまったことがあります。

般若や鬼をイメージした描いた絵

そこには理由がありました、私に暴言を吐かれた本人はその理由を知らないと思います。だから私に対して、何こいつ?って感想しかないと思うけど。

私が怒りを抱いた理由自体は正当性があると思います、しかしいかなる理由でも暴言は「自分の立場を悪くする」という意味で良くないと思います。当時は無自覚だった体の病気で、頭が回っていなかったのもあるけど、19歳20歳くらいの年齢だったから精神的に幼かったこともあると思う。

今だったら何も言わないでただ離れる、連絡が来てもスルー。大人は相手に信用をなくした時にみんなそうしている。角を立てるよりは黙って離れるのが最善だから。もう会わないであろう関係でも、将来、いつどこで遭遇するかわからないし、例えば役所とかで働いている可能性もあるわけで。そうなった時に関係を悪くした相手だと困るので、誰とも関係を悪くしないで、ただ離れるのがベストです。

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人が突然態度を変えた時、何か情報を得た可能性が高い、嘘がバレたとか、悪口が漏れたとか。

私が暴言を吐いてしまった相手をAとします。

起きたことそのままは書けないので今作った例え話で書くけど、

表面上私と仲良くしていたAが陰で私の悪口をボロクソに言って、周囲のみんなは知っていたけど黙っていた。何も知らないで本当にお友達だと思って仲良くしていた私。

私は人の秘密は言わない真面目さはあるのですが、自分のことはなんでも喋っちゃうところがあって、過去の私は「自分のことであってもなんでも喋っちゃうと自分の信用が落ちる」ということがわからなかった。信用がないから誰も私に何も教えてくれなかったのだと思う、信用のない人に情報を流したら「誰さんから聞いたんだけど」って言っちゃうかもしれないリスクがあるから。

ある日、第3者のCが「知らないの?Aはあなたのことかなりボロクソに悪口言っているよ」と伝えてきた。Cの発言以外にも、Cほどストレートには言わないけど他の人からもAと仲良いの?って突然聞かれたり、何か探りを入れられたり、それとなく離れたらっていう意味のことを言われたり、Cからの情報を得た上で後から振り返ると、そういうことなんだろうなと確定できるような状態でした。

Cの発言のみだったらそのまま鵜呑みにするのも良くないと思うけど、他のことも含めて、Cからの情報は事実なのだと思います。

でもCから情報を得たと言ってしまうと、Cの立場が悪くなるので。

誰に何を聞いたなどの理由は告げずに、いつも通り話しかけてきたAに私はかなりキツくあたりました。悪口言ってたんだろ!?などとは言わず、何を言ったかはもう覚えてないけど、かなりの暴言を吐いたと思う。

Aにとっては私がCから情報を得たことも知らず「いつも通りの世界」なので、いつも人の顔色うかがってイイヒトやっているような私が、突然豹変して意味がわからなかったと思うし

Aにとって都合の良い道具である私が突然自分に従わないモノになって怒りに近いものを覚えたと思う。弱い者を捕まえて人を都合よく使うような人間は、その対象がイイヒトをやめた時に怒りを抱きます。

私とCは全く接点がなく、Cから情報を得たこと自体が意外なことだと思うので、Aは私が情報を得たことを察する可能性は低く、察したとしてもCからであることに気づくことはないと思う。その後のCを見た感じでも多分、Cから情報を得たことはAには悟られていないように感じた。悟られていたらCから私への態度も明らかに冷たくなると思うので。

相手が悪くても、怒りを露わにしてしまうことは自分の非

本題はAがどうこうじゃなくて、有益な情報としてだけ受け取って、黙っていれば良かったと思う。自分に対して頭悪いなあと思う。

幼少期から長年、低血糖で事実頭が回っていなかったから、Aの違和感に気づけなかったことも感情のままに発言してしまうのも仕方なかったんだけどね。

Aが何も悪いことをしていないのなら、ただただ私のしたことが悪いと思うけど、Aの悪行もあって、まあ仕方ないかなって思う。誰でも怒って当然のことをしてしまっているし、普通の人は自分のために黙って表に出さないだけで、誰がされても嫌なことには変わりないと思う。

Aが悪いのが事実であっても暴言はいかなる理由でもいけないこと、という点は反省している。Aに限らず、角を立てるほどに、誰かと関係を悪くするほどに、私の行動圏内が狭まっていくだけだから。黙って離れればいいことで、自分のために、誰とも関係を悪くしないことが最善でしょう。

つけいる隙っていう意味で自分の撒いた種なので、私は今、Aに対して怒りも抱いていないし、どうこうも思っていません。私の落ち度であり、私の責任だと思う。

こうしてブログに書いているのも、過去の自分を「馬鹿すぎて痛いな」「頭が回っていない人生って寂しいなあ」と思い出すと辛いから。こうしてブログに書いて嫌な思い出も情報となっていただくことで私の気持ちも軽くなっていくのです。

本当に馬鹿すぎる馬鹿であったけど、去年ようやく、頭や心の病気ではなく体の病気だったって原因がわかって、色々あったけど仕方なかったって思っている。

過去の私の、思考力の欠陥を例えるとハンドルの利かない自転車

普通の人はハンドルを自由自在に動かして右に曲がったり左に曲がったり出来る中、私の自転車は一回ブレーキで止めて、ヨイショって自転車ごと持ち上げて方向を変えることをイチイチしなきゃいけない。だから普通の自転車の人と比べると「絶対に普通の人と同じように出来ないハンデ」がある。でも自転車が走らないわけではないから「障害とはみなされない」、こんなにハンデがあるのに普通の人と同じことをこなして生きていかなきゃいけない。

出来なくはないけどギリギリという状況が生きづらさの原因のひとつだったかな。

明らかに出来なかったら、出来なくて仕方ないという診断が出たでしょう。診断が出ることにより自覚できたし、出来ること出来ないことをわきまえた上で選択出来るでしょう。

過去のあの状態で普通の人と同じことをやるっていうのが無謀だったと思う。

頭の悪い私を煽ったり、都合良い道具に使ってきたり、嫌な奴もたくさんいたけど、その人たちにどうこうというよりは、あれじゃつけいられても仕方ないし、自分に対して頭が悪すぎて痛いなって思います。

病気だったから仕方ないとはいえ、もっと早く病気に気づけたら、体調不良がなければ、もっと良い人生を送れたのに、悔しいなって思う。

無反応性低血糖症とは自分をダメダメだと思って生きてきた先で回復すると、内に秘めたパワーに驚くようです。私も、特別なことは出来ないけど、私ってこんなに体力も記憶力もあるんだ…って驚く。ちょっと見れば信用のない人もわかるようになってきた、それなりのサインが出ているので。

これらは普通の人にとって当たり前のことで、人より出来るわけではなく、元々出来なかったところを普通の人と同じくらい出来るようになったという話なんだけど。普通のことが私の中では飛躍的なものを感じるくらい具合が悪い中、生きていたんだなあと気づきます。

人を憎む時間すらもったいない、時間や労力を大切な人との時間に使おう

誰も憎まず、大切な人とだけ楽しく生きていくことに時間と労力を使います。まだ、いくらでも時間はあるから。今は世間体とか評価とかはどうでもいい。人に迷惑をかけないことは前提に、人からどう映るとかどうでもいいので、普通の人からは理解しがたいレベルに頭が回っていない頃から私と一緒にいたパートナーとの時間を大切にしたいです。それだけでいい。

過去の私はヤバいくらいにおかしな人だったけど、パートナーは出会った時からそして今もまともです、普通より出来た人間だと思う。同年代であることと、10代のうちに出会えたのが良かった。子供の勢いが通用しなくなる二十歳すぎていたら相手にされなかったと思う。二十歳過ぎるとみんな大人になって、なんか空気が変わるよね。

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