どこからやり直せばまともな人生に出来るか脳内シミュレーションすると

手の絵 過去の回想と内省

あの時ああだったらこうしていたらもっといい人生だったのに、そう思うことは誰でもあると思う。誰だって時に選択ミスをしたり事故としか言いようがないアクシデントに見舞われたりする。

私は最近まで人生をやり直したいと思ったことはなかった。その理由はどこに戻っても辛くて苦しくて戻りたい場所なんかないから。幼少期から辛いことばかりの人生だった。体調と共に思考力が回復してからは今の記憶と体調を持ってして過去に戻れるなら戻りたいという過去の地点はいくつか存在するようになった。それはあの時に戻りたいというよりは、今のように正気を取り戻していたらどうにかできたことなのに悔しいという気持ちが大きい。

どこからやり直せばまともな人生があるかって。

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もしも過去に戻れるなら2歳からやり直したい

幼稚な親自体からの影響も大きく、毎日毎日自尊心自己肯定が削られていくのですがそこから更に幼稚な親が信用ない大人ばかり連れてきて良くない環境ばかり持ってきて、私の人生も環境も3歳の時点ではもう駄目だったので、今の記憶を持ってして2歳の頃まで戻ったらまともな人生に出来ると思います。そのくらい、私の人生は辛いことばかりだった。

楽しいこともあったけど。

私は人より体力も忍耐力も大きいと思う、慢性的な疲労感を抱えて、思考力も阻害されて、結果的には著しく体力もなく心も弱い人間だったけど、この体調不良の中、なんとか普通の人の世界で普通の人と同じことこなして生きてきたことはかなりの体力と精神力だと思う。

普通の人が私の体調と人生をやらされたら、人生のリタイアを考えると思うよ。そのくらい辛い。私は良くも悪くも捨て身でなんでも出来ちゃうところがあるので。なんとしてでも生き延びる生命力があった。

悲しいことに、性格は悪くてもやること出来ている人は需要がある

人はおかしな人を見るとすぐに馬鹿にする。でもおかしな人にはそれなりの理由があってそうしている。

例えば、靴が履けないくらいに壊れて靴屋もなかったら、そこに立ち止まったままいるよりは裸足でも帰ろうとするしかない。その状況ではこうするしかないことを、人が一生懸命どうにかしようとしているところを馬鹿にしてあざ笑う人も世の中には結構いる。

病気や不幸をネタに人を馬鹿にすることって「人として恥ずかしいこと」でありながらも平気でやってのける人がザラにいて、そういう人でもやること出来ていれば輪からハミ出ない世界なんだよね。この世は優しいか意地悪かなんて関係ない。その場の役割をこなせるかどうかが全て。

体調さえ良ければ…と思うと悔しい

文字を書くのも、座っているのも、その程度のことすら常にだるくて仕方ない強い疲労感の中、頭も回っていなくて。黒い人間のそそのかしをどうやっても避けれない、どうやっても負けてしまう。何をやってもうまくいかない。一生懸命やっているのに、性格が悪いとかやる気がないとか批判的な評価しか得られない。

そんな中、私は健常者として健常者と同じことこなしてどうにか生きてきた。

こんな無理難題な条件すらこなせてしまう耐久性があるのだから体調がまともだったら、もっとまともな人生だったでしょうね。それが、悔しい。

幼少期からおかしいのだから性格や怠慢と決めつけず親が気づいてくれたらなあって思うし、今の時代に生まれたら情報があってどうにか出来たかもしれません。

一生懸命やっているにも関わらず、うまくいかない人生と低い評価しか得られなかったことがただただ寂しいなと思います。

体調不良の原因に出会えて思考力が回復しているだけ、気づけただけラッキーとも思うけど。

どうしてもね、過去の私に対してもったいないなあって思う。

たとえ過去に戻れたとしても戻る気はない理由

もしも今の記憶を持ってして2歳まで戻ってやり直せたとしても、もう一度やるのは面倒くさいことと、偶然出会った今のパートナーとは、もう一度人生をやり直したとしたら、もう一度偶然では会えないと思うから。だから今の人生でいいやって思う。

今の記憶と健康な体と思考力を持ってして人生をやり直したら、今よりは遥かにマシな人生であることは確実でしょう。その人生でなら今のパートナーと同じくらい良い人とも出会えると思います。でも私の記憶にはパートナーと過ごした日々の記憶があって、別の人は考えられないので。人生のやり直しは不要です。

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